●独り言に関する考察
>>481から始まる前スレ1の独り言はまさに神憑かり的な文章である。
この重たい話を5時間以上も書き続ける集中力がもはや尋常ではないと思われるが前スレ1が異様なテンションでこの文章を綴ったことは間違いない
多くの読者はこれを「上手い文章」だと言うが筆者は必ずしもそうは思わない。しかし「心を打つ文章」だと思う。

以下をご覧頂きたい。
これは独り言の部分から行頭に「けれど」を使った行のみを抜き出したものである。
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>>504
けれど僕は彼女を抱いた。
>>517
けれど、一方的に「別れよう」と言われるのは心外だった。
>>545
けれど、手紙を読まずには死ねなかった。
>>559
けれど違った。
>>577
けれど、「もしかしたら」と思うと行かずにはいられない。
>>581
けれど、その一方で「そんなことはなんでもないんだ」という
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こうやって並べてみると読点の使い方がでたらめであることが分かる。
恐らくこれは人に読ませる文章を書いているのではなく自分の内面を吐き出すという行為に於いての結果なのではないかと筆者は考えている。

その証拠に書いているうちに文体がどんどん変化しているのだ
状況を説明することから自分の心理描写に内容がシフトする。
それに伴い言葉が簡略化され読点すらも影を潜め改行が増えていく。
そこには一種の狂気が孕んでいるように筆者は思う。

例えば>>496は場面が変わっているにも関わらず冒頭の主語が抜けている。
「食事に誘い出した。」は「僕は彼女を食事に誘い出した。」と書くのが正しい。
しかし内面を吐き出す(この場合は自分への怒りを記す)という行為に没頭しているならば主語が抜けても不思議ではない。状況は書き手の記憶の中にあるので記す必要が無いのだ。
このように前スレ1が自分の内面を掘り下げる度合いが増す毎に言葉がどんどん省かれていく。
その結果最後には読み手を無視した文章になってしまっているのだ。
こんなものは「上手い文章」とは言えない。
しかし書き手のテンションはリアルに伝わってくる。

前スレ1の独り言は文章そのもののリアリティが話の内容を遥かに凌駕してしまっていると考えることができる。
だからこそ読者が感情を揺さぶられるのだと筆者は思うのだ。
そしてこの文章を実体験も無く書けるとは思えないのである。


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